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京都地方裁判所 昭和42年(ワ)1253号 判決 1973年1月26日

原告 志賀静江

右訴訟代理人弁護士 坪野米男

金川琢郎

弁護士坪野米男訴訟復代理人弁護士 崎間昌一郎

被告 株式会社京都新聞社

右代表者代表取締役 白石古京

右訴訟代理人弁護士 吉川幸三郎

高橋進

弁護士吉川幸三郎訴訟復代理人弁護士 桑嶋一

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告

被告は原告に対し、金一、二六〇万五、八七九円、および、うち金一、一九〇万五、八七九円に対する昭和四二年一〇月二八日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決と仮執行の宣言。

二、被告会社

主文と同旨の判決。

第二、請求の原因事実

一、事故の発生

訴外亡志賀稔は、次の交通事故によって死亡した。

(一)  発生時 昭和四一年二月二一日午前一一時五分頃

(二)  発生地 京都市北区北大路通今宮神社前路上

(三)  加害車 普通乗用自動車(京五の一三三三号)

運転者 訴外今井素次

(四)  被害車 普通乗用自動車(京五あ七八六九号)

運転者 志賀稔

(五)  態様  横断歩道の手前で先行車に続き一時停止した被害車に、後続してきた加害車が追突し、その衝撃でさらに被害車が先行車に玉突き追突した。

(六)  志賀稔は、本件事故によって、頭蓋骨々折、脳内出血、鞭打ち症、腹部内臓負傷などの傷害を受け、昭和四二年一月二七日右傷害が原因で死亡した。

二、責任原因

被告会社は、加害車を所有し、自己のために運行の用に供していたから、自賠法三条により、本件事故によって生じた損害を賠償する責任がある。

三、損害

(一)  志賀稔に生じた損害

(1) 治療費金    七万七、六五五円

(2) 付添費金      四、六一〇円

(3) 逸失利益 金九三六万四、四一〇円

志賀稔が死亡によって喪失した得べかりし利益は、次のとおり金九三六万四、四一〇円と算定される。

(死亡時) 三一才

(稼働可能年数) 三二年

(収益) 昭和四〇年度年収金六二万五、三四八円

(控除すべき所得税) 金一万二、六〇〇円

(控除すべき生計費) 年額金一二万四、八〇〇円(第一六回日本統計年鑑昭和三九年度一か月消費支出金額の全世帯一人当りの金額による。)

(年五分の中間利息控除) ホフマン式(複式)計算方法による(係数一八・八〇六)。

(計算式) (625,348円-12,600円-124,800円)×18.806=9,364,410円

(二)  原告は、志賀稔の妻で、唯一の相続人であるから、その死亡に伴い、右損害賠償請求権を遺産相続によって承継取得した。

(三)  原告に生じた損害

(1) 葬儀費 金一五万九、二〇四円

原告は、志賀稔の死亡に伴い、その葬儀費用として金一五万九、二〇四円の出捐を余儀なくされた。

(2) 慰藉料     金二〇〇万円

原告は、本件事故により婚姻後二年三か月余りで夫志賀稔を失い、これによる精神的苦痛と将来の生活に対する不安は大きい。

その他諸般の事情を勘案すると、本件事故によって被った原告の精神的損害を慰藉すべき額は、金二〇〇万円が相当である。

(3) 弁護士費用   金一〇〇万円

以上により、原告は被告会社に対し金一、一六〇万五、八七九円を請求し得るところ、被告会社はその任意の弁済に応じないので、原告は、本件原告訴訟代理人にその取立てを委任し、着手金として金三〇万円を支払ったほか、成功報酬として勝訴金額または示談金額の一割を支払うことを約束した。そこで、原告は、弁護士費用として、右着手金三〇万円および成功報酬のうち金七〇万円、合計金一〇〇万円を請求する。

四、結論

原告は被告会社に対し、金一、二六〇万五、八七九円、および、うち金一、一九〇万五、八七九円(成功報酬をのぞく)に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四二年一〇月二八日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三、被告会社の主張

一、請求の原因事実に対する認否

(一)  請求の原因事実第一項中、(一)ないし(四)の事実は認める。(五)の事実のうち、加害車が被害車に追突したことは認めるが、その余は争う。(六)の事実のうち、志賀稔が、本件事故によって傷害を受け、原告主張の日に死亡したことは認めるが、右傷害の部位程度とその傷害が死亡との間に因果関係のあることは否認する。

志賀稔は、本件事故発生後、浜田病院で応急手当を受け、その後、主として大和病院で治療を受けたほか、関西労災病院、京都大学医学部付属病院でも治療を受け、さらに、昭和四二年一月二三日京大病院において椎骨動脈の血栓病の検査を目的とする血管撮影のための造影剤注入手術が行なわれた。右各病院の担当医師は、志賀稔の傷害を「鞭打ち症」と診断していたが、京大病院での右手術の頃の症状は、単なる「鞭打ち症」ではなく、外傷による小脳の内出血を伴う頭部損傷のため脳実質が壊死しかかっている状態にあり、めまい、重視、嘔吐等の新たな症状を訴えていたのに、京大病院の吉田医師は、これを看過して十分な脳波検査も実施しなかった。そのため、吉田医師は、志賀稔の右症状に気付かないまま右造影手術に着手したが、前記頭部損傷の症状下においては脳血管を刺激するようなことは厳につつしまなければならないのに、吉田医師は、数種ある手術方法のうち股動脈から管を入れて造影剤を椎骨動脈まで導くという困難かつ危険性の大きい方法を採択した。同医師は、自己に代る第三者をしてその手術にあたらしめたため、これが誘因となって壊死しかかっている脳に浮腫等の変化が生じ、左小脳内出血で肺炎を招いたばかりか、右施術者の技術拙劣のため股動脈の穿刺を誤まり、腹膜下に多量の出血をもたらし、さらに、右手術後三〇時間にわたり志賀稔を防寒設備のない寒風の吹きすさぶ京大病院の廊下に放置して肺炎の発病を助長し、その結果、志賀稔は右肺炎と腹膜下の多量出血によって死亡した。

以上のような吉田医師および右手術実施者の医療上の過失行為の介在により、本件事故による傷害と志賀稔の死亡との間の因果関係は中断されたから、被告会社には右死亡の結果についての責任はない。

(二)  同第二項の事実中、被告会社が加害車の保有者であることは認める。

(三)  同第三項の損害額を争う。

二、免責の抗弁

本件事故当時、被害車の前方に二台の普通貨物自動車が走行していたが、本件事故現場付近で先頭車である訴外関西電力株式会社所有の普通貨物自動車が急に右折しようとしたため、後続の普通貨物自動車と被害車が相次いで急停車した。

そこで、被害車に追従していた加害車も急停車しようとしたが、右現場付近の道路が下り坂であったため急ブレーキが十分きかず、被害車に追突してしまった。従って、本件事故の発生は、専ら右先頭車の運転者が交通法規を無視して急に右折しようとした過失と、本件事故現場付近の特殊な地形に起因するものであって、加害車の運転者にはなんら運転上の過失は、なかったのであるから、被告会社は、自賠法三条但書により免責される。

第四、証拠関係≪省略≫

理由

一、原告主張の請求の原因事実中第一項の(一)ないし(四)の事実並びに(五)の事実のうち加害車が被害車に追突したことは、当事者間に争いがない。

二、そこで、被告会社の責任原因について判断する。

(一)  被告会社が被害車の保有者であることは、当事者間に争いがない。

そうすると、被告会社は、自賠法三条により、本件事故の損害を賠償する義務のあることは、多言を必要としない。

(二)  被告会社は、同条但書の免責の抗弁を主張しているので判断する。

本件に顕われた全証拠を仔細に検討しても、右抗弁事実が認められる証拠はない。

却って、≪証拠省略≫によると次の事実が認められる。

(1)  本件事故当時、被害車の前方には、二台の普通貨物自動車が走行していたが、本件事故現場付近で先頭車である訴外関西電力株式会社所有の普通貨物自動車が、方向指示器により右折の合図をしながら停車したので、後続の普通貨物自動車と被害車が相次いで停車した。

(2)  一方訴外今井素次は、加害車を運転して時速約三〇キロメートルで被害車に追従進行中、本件事故現場付近で右各先行車が減速するのに気付いたが、いずれ加速進行するであろうと考えて漫然従前の速度で進行を続け、被害車の後方約一一メートルに接近したとき、はじめて被害車が前記のとおり停車していることに気付き、急制動の措置を講じたが、間に合わず、加害車を被害車に追突させ、その反動で被害車をその先行車に玉突き追突させた。

(3)  本件事故現場付近道路は、加害車の進行方向に向ってやや下り坂であったが、急制動の効果に影響を及ぼす程の急勾配ではなく、また、直線道路であったので、見透しもよかった。

右認定事実によると、本件事故は、今井素次が、先行する被害車の動静に十分の注意を払わず漫然これに近接して進行した過失に起因するものというべく、被告会社は、免責される余地がない。

三、次に、被告会社は、志賀稔の本件事故による受傷と死亡との間の因果関係を争うので判断する。

(一)  ≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められ、この認定の妨げになる証拠はない。

(1)  志賀稔(昭和一〇年七月一九日生)は、本件事故直後、大和病院で頸椎鞭打ち症、頭部外傷Ⅱ型と診断され、昭和四一年二月二一日から同年三月二七日までの間、同病院に入院し、その後、同病院に通院していた。志賀稔は、その間、頸部、項部ないし後頭部を中心とする軽度の不定疼痛を訴え、他覚的に左腕の握力低下が認められたほか、レントゲン検査により第四、第五頸椎後縁のずれが認められた。

(2)  志賀稔は、同年七月頃から、大和病院に通院するかたわら、京大病院にも通院するようになったが、その頃から、漸次、頭痛、嘔気、精神不安定、めまい、複視などの脳機能障害を疑わせる症状を訴えるようになり、それが、少しずつ増強する傾向がみられた。

(3)  一方、大和病院や京大病院の担当医師は、当初から志賀稔の右受傷がいわゆる頸椎鞭打ち症であるとの診断のもとに、その対症療法を続けてきたが、昭和四二年一月九日頃、京大病院脳神経外科医師訴外吉田耕造は、志賀稔の前記症状の増悪傾向に加えて、左大後頭神経および左頸神経三、四に圧痛を認め、また頸の左右旋回に際し、両側鎖骨上窩に強い椎骨動脈雑音が聴取されたことなどから、椎骨、脳底動脈の機械的または機能的狭窄の疑いを抱くに至り、さらに精密な診断を行なうため、セルディンガー法による左椎骨動脈の血管撮影を実施することにした。

(4)  そこで、同年一月二三日午前一〇時頃から、同病院において、吉田耕造ほか一名の医師によって右撮影が開始された。同医師らは、まず志賀稔の右鼠蹊部から股動脈を経て鎖骨下動脈分岐部まで導管を送入したうえ、血管造影剤を注入し、左椎骨動脈のレントゲン撮影を行なったところ、同動脈の二か所に機能的狭窄が認められた。

(5)  志賀稔は右血管撮影後二、三時間を経て、急に、興奮、うわ言、不定運動、軽度項部強直などの大脳皮質興奮状態を呈し、約二四時間後には意識混沌、喘鳴、瞳孔対光反応欠如、尿失禁などの大脳皮質麻痺症状が著明に現れ、ついで肺炎を併発し、同月二七日午前七時一六分頃死亡した。

(6)  京都大学医学部法医学教室は、同日、志賀稔の死体解剖を行なったが、その解剖所見の大要は次のとおりであった。

(イ) 頭蓋骨の左頭頂部前部に、前方に開いたタンスの「かん」形をした骨折線があり、その前縁はテラス状に折れ曲り、後縁は少し陥没している。

(ロ) 大脳全般に高度の浮腫がみられ、部分的に小挫創が存在するほか、左大脳後極後頭葉内面に約胡桃大の陳旧性の出血が認められる。また、左小脳半球に胡桃大の新鮮な出血があり、その付近の脳細胞が多量に壊死し崩壊している。

(ハ) 第五頸椎部硬膜下に頸髄をとり巻くように上下三センチメートル、左右一センチメートル、厚さ一ないし二ミリメートルの白色肥厚沈着物が付着している。

(ニ) 左右両肺部には就下性肺炎の病変が認められる。

(ホ) 右鼠蹊紐帯内部で右股動脈の前壁に半米粒大、それに対応する約一センチメートル上部の後壁に栗粒大の穿孔があり、後腹膜腔内に多量の出血が認められるが、その出血量は致死量には至っていない。

(二)  右認定事実や≪証拠省略≫を総合すると、志賀稔の死因について次の事実を認めることができる。

(1)  志賀稔が本件事故によって受けた傷害は、右前頭葉および頸部損傷、右頭頂骨陥没骨折であって、単なる鞭打ち症ではなかった。それだのに、大和病院および京大病院医師は、鞭打ち症とだけ診断し、その対症療法を施すに止まったため、右頭部外傷部位の病変が漸次持続的に進行していった。すなわち、頭部の外傷によって生じた脳障害並びに第五頸椎部の硬膜下肥厚による脳脊髄液の循環障害が脳の局所的浮腫、壊死をもたらし、そのため脳血管の循環障害をきたしてさらに脳の他の部分に出血、組織異常等の障害をもたらすという悪循環がくり返され、その結果、左大脳後極後頭葉内面に循環的持続的な出血を生じるとともに、小脳内の細胞壊死が徐々に進行して、前記血管撮影が行なわれる頃には、周辺の脳血管に血管運動神経の緊張異常、血管の透過性亢進といった脳出血の起りやすい病的変化が現われるに至っていた。

(2)  京大病院の吉田医師は、右のような脳部位の病変に気付かないまま前記血管撮影を行ない、導管を通じて鎖骨下動脈分岐部に血管造影剤を注入したため、その刺激により既に右のような病的変化を生じていた脳血管が破れ、もしくは脳血管から血液が浸出して左小脳内に新たな出血をもたらし、これによる脳中枢機能障害と続いて起った就下性肺炎により、死亡するに至らしめた。

(三)  右事実によると、大和病院および京大病院医師は、いずれも、志賀稔の受傷を単なる鞭打ち症と誤診し、その結果右頭部外傷に有効適切な治療を施さなかったため、左大脳後極後頭葉部の出血と小脳内壊死が漸次進行するままに放置され、遂に血管撮影による外的刺激によって容易に小脳内出血をもたらす病的素因が形成されるに至ったものというべきところ、右医師らにおいて、志賀稔の右傷害について的確な診断を下し、有効適切な治療を行なうため可能な範囲での検査等を尽したとか、或いはかような処置に出ることが当時不可能な状況にあったとかの事実を認めることのできる証拠がないばかりか、≪証拠省略≫によると、右医師らは、志賀稔の右傷害が鞭打ち症の域を出ないものと思い込んでいたため、志賀稔が脳機能障害を疑わせる諸症状を訴えるようになってからも、この訴えに格別の留意を払わなかった形跡さえ窺知できる。また、本件全証拠によっても、志賀稔の本件事故による傷害に対する的確な診断と有効適切な治療が行なわれても死亡の結果が予見されるほどの重症であったとは認められないばかりか、≪証拠省略≫中には、前記解剖にあたった法医学者の意見として、当初から右頭部外傷に対する適切な診断治療が行なわれていたならば、死亡の結果が生じなかったであろうことを窺わせる記載ないし供述部分がある。

(四)  現代の社会生活においては、交通事故等による負傷者に対しては、専門医による診断と治療の施されるのが常態であり、加害者側としても、被害者がかような診断治療を受けることを当然期待してよいのであるから、右負傷者が不幸にして死亡した場合において、当該事故と死亡との間に相当因果関係が肯定されるためには、その事故による傷害の程度が、当時の医学水準において一般に可能とされる診断治療が適切に行なわれることを前提として、それでもなおかつ右傷害による死亡が通常生じうべき結果として予見されうる場合であることを要するものと解するのが相当である。

この視点に立って本件を観ると、前記のとおり、志賀稔の本件事故による傷害に対し、大和病院と京大病院の医師は、当初から診断を誤り、志賀稔に対し適切な治療を加えていなかったのであり、この医師の誤診が原因で、志賀稔は死亡したとしなければならないから、本件事故と志賀稔の前記死亡との間には、前者がなかったならば後者もなかったであろうという自然的因果関係のあることは否定できないが、さらに進んで右両者の間に法律上の相当因果関係があるとすることはできない。

四、原告の損害額について判断する。

(一)  原告が、本件で損害として請求している治療費と付添費は、前記志賀稔に対し、直接死亡の原因を与えた京大病院での血管造影のためのものである(≪証拠判断省略≫)。

しかし、さきに説示したとおり、これは、本件事故と相当因果関係のある損害とはいえないから排斥する。

(二)  原告が、本件で請求している逸失利益と葬儀費も、同様の理由によって排斥する。

(三)  原告が、本件で請求している慰藉料についても、排斥を免れない。そのわけは、原告は、志賀稔の死亡による精神的苦痛を被告会社に対し請求できないことは、前述したとおりであり、志賀稔の本件事故による単なる傷害に対し、原告が固有の慰藉料を請求するには、それが、死にも比肩すべき傷害であることが必要であるが、本件事故による志賀稔の傷害の程度は、さきに認定したとおり、そのような傷害であるとは認められないからである。

(四)  原告が、本件で請求している弁護士費用も、原告の被告会社に対する本件請求がすべて棄却されるのであるから、原告の支出した弁護士費用が本件事故による損害となる理由はない。

五、むすび

以上の次第で、原告の請求は理由がないから、失当として棄却し、民訴法八九条に従って主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 古崎慶長 裁判官 谷村允裕 飯田敏彦)

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